前提

  • 仮想敵国は以下の通り。
    • 第一位:アメリカ合衆国
    • 第二位:ソヴィエト連邦
  • 海軍軍備は、太平洋上でアメリカ海軍と睨み合うことを前提として設計される。大は小を兼ねる。

アメリカ海軍の軍備

航空母艦:22隻(就役19隻、建造中3隻)
  • エセックス級:9隻
    • 説明:両洋艦隊法によって計画された大型正規空母。当初12隻が計画されたが、帝国海軍のマル5・マル6計画縮小を受けて9隻に削減された。のちにアングルド・デッキ化や耐熱甲板化などの改装を受け、ジェット機の運用にも対応することとなった。
    • 第二次ヴィンソン案計画艦:1隻
      • エセックス(CV-9)
    • 第三次ヴィンソン案計画艦:3隻
      • イントレピッド(CV-10)、フランクリン(CV-11)、タイコンデロガ(CV-12)
    • スターク案計画艦:5隻
      • ランドルフ(CV-13)、バンカー・ヒル(CV-14)、ハンコック(CV-15)、ベニントン(CV-16)、ボクサー(CV-17)
  • ミッドウェイ級:6隻
    • 説明:第二次大戦への参戦を見据え、大戦型空母の完成形として設計された空母。8インチ砲の砲撃にも耐えうる装甲甲板を備え、日本水雷戦隊への対抗を意識した設計である。エセックス級と同様にアングルド・デッキ化の改装を受けた。
      • ミッドウェイ(CV-18)、フランクリン・D・ルーズベルト(CV-19)、レキシントン(CV-20)、キアサージ(CV-21)、ヨークタウン(CV-22)、ワスプ(CV-23)
  • フォレスタル級:4隻
    • 説明:核兵器の搭載や双発大型艦攻の運用などを可能とする、超大型のスーパー・キャリアー(CVA:攻撃空母)の端緒となった空母。「アメリカ空軍が撃沈した唯一の空母」などと皮肉られる空母ユナイテッド・ステイツの時には下りなかった承認を取り付け、帝国海軍の新海軍整備計画やソ連海軍の増強に対抗するために建造された。
      • フォレスタル(CVA-24)、サラトガ(CVA-25)、レンジャー(CVA-26)、インディペンデンス(CVA-27)
  • キティホーク級:3隻(艤装段階2隻、計画中1隻)
    • 説明:フォレスタル級をさらに強化したスーパー・キャリアーとして設計・建造された。1956年度計画で2隻が、1961年度計画で1隻が予算通過し、建造中。
      • キティホーク(CVA-28)、コンステレーション(CVA-29)、アメリカ(CVA-30)
戦艦:14隻
  • ノースカロライナ級:2隻
    • 説明:海軍休日(ネイバル・ホリデー)時代の明ける無条約時代に、弩級戦艦フロリダ級の代艦として計画された戦艦。主砲に16インチ砲3基9門を備え、日本の長門型戦艦やイギリスのネルソン級戦艦に対抗することのできる力を持つ。
      • ノースカロライナ(BB-55)、ワシントン(BB-56)
  • サウスダコタ級:4隻
    • 説明:ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約の制限下で建造された最後の戦艦。基準排水量35,000トンの中で攻防走すべてのレベルを高い次元に纏め、アメリカ海軍が持たなかった高速戦艦を持つことによって金剛型戦艦を有する日本の水雷戦隊に対抗することを可能とした。
      • サウスダコタ(BB-57)、インディアナ(BB-58)、マサチューセッツ(BB-59)、アラバマ(BB-60)
  • アイオワ級:6隻
    • 説明:日本の海軍軍縮条約脱退によって第二次ロンドン海軍軍縮条約のエスカレータ条項が発動し、排水量制限が45,000トンに緩和された中で設計された戦艦。長砲身16インチ砲の搭載とSHS(スーパー・ヘビー・シェル)の採用により、大和型の18インチ砲に匹敵する打撃力を有した。
      • アイオワ(BB-61)、ニュージャージー(BB-62)、ミズーリ(BB-63)、ウィスコンシン(BB-64)、イリノイ(BB-65)、ケンタッキー(BB-66)
  • モンタナ級:2隻
    • 説明:マル3・マル4両計画による大和型戦艦の全貌が明らかになると、アメリカはこれに対抗するための戦艦としてモンタナ級の建造を計画した。1942年度計画で2隻の予算が承認されたものの、その後第二次世界大戦に参戦し、輸送船や護衛艦艇に多くのリソースを割かざるを得なくなったため、5隻が予定されていた建造計画は2隻で打ち止めとなった。
      • モンタナ(BB-67)、オハイオ(BB-68)
重巡洋艦:30隻(うちミサイル巡洋艦13隻)
  • ボルチモア級:10隻
    • 説明:8インチ砲を3基9門装備する重巡洋艦で、日本の重武装・高速の高雄型や改高雄型(昭和2年度補充計画で計画されていたものではなく、最上型を指すと思われる)を意識して設計された。当初16隻が計画され、このうち2隻が空母に設計変更されて14隻が竣工したが、のちに4隻がミサイル巡洋艦に類別変更された。
      • ボルチモア(CA-68)、クインシー(CA-71)、ピッツバーグ(CA-72)、セントポール(CA-73)、ヘレナ(CA-75)、ブレマートン(CA-130)、フォール・リバー(CA-131)、メイコン(CA-132)、トレド(CA-133)、ロサンゼルス(CA-135)
  • オレゴンシティ級:3隻
    • 説明:ボルチモア級の後期型として設計された。8隻が計画され、4隻が就役し、うち1隻(オールバニ)がミサイル巡洋艦として転籍した。
      • オレゴンシティ(CA-122)、ロチェスター(CA-123)、ノーザンプトン(CA-125)
  • デモイン級:4隻
    • 説明:新設計の8インチ速射砲を搭載し、日本軍の重巡洋艦をアウトレンジ可能な巡洋艦として設計された。当初12隻の建造が予定されたが、日本がデモイン級を上回るスペックを持った新型巡洋艦(蔵王型重巡洋艦)を建造していることが明らかとなったため、建造は4隻で打ち止めとなった。
      • デモイン(CA-134)、セーラム(CA-139)、ダラス(CA-140)、ニューポート・ニューズ(CA-148)
  • ケンブリッジ級:8隻
    • 説明:デモイン級をミサイル巡洋艦に改良した形式として設計された。その搭載艤装から前期型と後期型に分けられる。前期型は先行してミサイル巡洋艦に改装された「ボストン」をタイプ・シップとして設計されたが、後期型は全くの新設計である。8隻の建造が予定され、そのすべてが1959年までに竣工した。
      • ケンブリッジ(CAG-141)、ブリッジポート(CAG-142)、カンサス・シティ(CAG-143)、タルサ(CAG-149)、ノーフォーク(CAG-150)、スクラントン(CAG-151)、ニューオーリンズ(CAG-152)、ウィチタ(CAG-153)
  • ボストン級:2隻
    • 説明:旧式化したボルチモア級重巡洋艦のうち、「ボストン」「キャンベラ」を改装してミサイル巡洋艦とした形式。防空ミサイルシステム「テリア」を搭載し、当初艦隊防空任務に就いたが、のちに「テリア」自体の旧式化により二線級艦隊に格下げされた。
      • ボストン(CAG-69)、キャンベラ(CAG-70)
  • オールバニ級:3隻
    • 説明:ボストン級に続きミサイル巡洋艦に類別変更された形式。長距離対空ミサイル「タロス」と短距離対空ミサイル「ターター」の2種類の防空ミサイルシステムを搭載し、艦隊防空の要として太平洋艦隊に配備された。
      • オールバニ(CAG-123)、コロンブス(CAG-74)、シカゴ(CAG-136)
軽巡洋艦:27隻
  • クリーブランド級:11隻
    • 説明:1940年の両洋艦隊法(第一次スターク案)通過で4隻が、41年の予算案で13隻の追加建造が承認された。ボルチモア級重巡洋艦と並んで、大戦期アメリカの巡洋艦群を象徴する存在である。戦後に6隻がミサイル巡洋艦化の改装を受け、残った11隻も近々退役の予定。
      • クリーブランド(CL-55)、コロンビア(CL-56)、モントピリア(CL-57)、デンバー(CL-58)、サンタフェ(CL-60)、タラハシー(CL-61)、バーミングハム(CL-62)、モービル(CL-63)、ヴィンセンス(CL-64)、パサデナ(CL-65)、ウィルミントン(CL-79)
  • ファーゴ級:5隻
    • 説明:ノルマンディー上陸作戦の失敗とドイツ海軍の増強を受け、さらに汎用性の高い軽巡洋艦として建造された。当初13隻が計画されたが、5隻のみが就役した。現在のところ、アメリカ海軍が建造した最後の水雷戦闘を主眼に置いた軽巡洋艦である。
      • ファーゴ(CL-106)、ハンチントン(CL-107)、ニューアーク(CL-108)、ニューヘヴン(CL-109)、バッファロー(CL-110)
  • ウースター級:4隻
    • 説明:防空戦闘を主眼に置いた、アトランタ級防空巡洋艦の後継たる軽巡洋艦。主砲には自動装填式の6インチ高角砲を装備し、その高初速の主砲に対する対応防御も備えている。
      • ウースター(CL-144)、ロアノーク(CL-145)、ヴァレーオ(CL-146)、ゲイリー(CL-147)
  • ロングビーチ:1隻(CLGN-160)
    • 説明:ミサイルを用いての戦闘に特化した、世界初の「全ミサイル艦」であり、また世界初の原子力推進を実現した水上戦闘艦艇でもある。主砲は5インチ砲1門のみであり、主兵装は「タロス」「ターター」の2つの艦対空ミサイルシステム。建造が計画されていた原子力空母の直衛艦のプロトタイプとして建造された。
  • プロビデンス級:3隻
    • 説明:旧式化したクリーブランド級軽巡洋艦をミサイル巡洋艦に改装したもの。艦後半部の主砲を取り払い、「テリア」艦対空ミサイルを装備した。
      • プロビデンス(CL-59)、スプリングフィールド(CL-66)、トピカ(CL-67)
  • ガルベストン級:3隻
    • 説明:プロビデンス級と同じく、旧式化した軽巡を改装したミサイル巡洋艦。軽巡洋艦版のオールバニ級であり、「タロス」及び「ターター」艦対空ミサイルを搭載する。
      • オクラホマシティ(CL-76)、リトルロック(CL-77)、ガルベストン(CL-78)

アメリカ海軍の艦隊決戦計画

 予想。1950年代を想定。
 アメリカ海軍とて人の子、「二次大戦で艦隊決戦が起こらなかったのはドイツが大艦隊を保有しなかったからだ」と考え、大艦隊を保有する大日本帝国との決戦に備えて艦隊決戦の計画を持つ。すでに戦艦の時代は終わり、海軍の主役は空母とミサイルに移行しつつある時代のこと。オレンジ・プランで想定されたような艦隊決戦とは一味違う。
 まずアメリカから見た日本海軍の概要から。日本海軍ジャップは不遜にも世界最大の戦艦と巡洋戦艦を4隻ずつ瀬戸内海に浮かべ、「最強の旧式戦艦」と呼ばれるナガト・クラスと「裕仁エンペラーのお気に入り」こと戦艦比叡を加えるとつごう11隻の戦艦を保有する。空母戦力こそエセックス級クラスとミッドウェイ級クラスが4隻ずつと乏しい(※当社比)ものの、マーシャル諸島には航続距離8,000kmを誇りハワイに直接水爆を落とすことができるとされる基地航空隊が展開し、太平洋艦隊を虎視眈々と狙っている。
 そしてさらに、日本には世界最強の水雷戦隊がいる。いかにレーダーと航空機の目が発達したといえども、ハワイ前面に張り巡らされていると想定される潜水艦の目から伝えられる、逐一更新される米艦隊の位置情報をもとにして夜間、全速力で水雷戦隊が突っ込んでくれば、無防備な空母機動部隊は全滅の憂き目に遭いかねない。
 そこでアメリカは渡洋進撃に際して、前衛部隊と決戦艦隊を分けるという古典的な戦術を採用した。前衛艦隊には旧式化したエセックス級のうち3隻とアイオワ級戦艦6隻、ノースカロライナ・サウスダコタ級6隻を充て、空母3隻に支援された3つの偵察部隊によって日本水雷戦隊の位置を探る。水雷戦隊は決戦艦隊とは離れているはずであるから、水雷戦隊に対して決戦艦隊の航空機とミサイルの猛射を浴びせ、糾合した偵察部隊を突入させて水雷戦隊を撃滅する。対艦ミサイルとはいってもこの当時のミサイルは、戦艦のバイタル・パートを狙って撃ち抜けるほど高性能ではない。そのため化け物じみたスペックを誇る日本巡洋戦艦には航空雷撃とミサイルの飽和攻撃だけではとどめを刺せない。そこで偵察部隊に戦艦を配備する必要性が出てくる。いくら18インチ砲装備と言えど高々4隻。16インチ砲艦12隻の主砲の猛射の前には膝を屈するしかないであろう。
 こうして水雷戦隊を撃滅すれば、後は満を持して主力艦隊と基地航空隊を相手取った航空撃滅戦をおこなうのみである。幸い日本海軍の母艦戦力はそこまで強力でなく、またマーシャル諸島に展開する基地航空隊はマーシャル諸島の持つ「環礁である」という特質から兵力の増加をしづらい。航空撃滅戦となれば、アメリカは勝ったも同然である。

帝国海軍の軍備

戦艦・巡洋戦艦:11隻

要目
全長222.0m
全幅31.0m
基準排水量31,500t
主機艦本式オール・ギヤードタービン4基4軸
出力136,000馬力
速力29.5ノット
兵装毘式35.6cm(45口径)連装砲4基8門
四一式15.2cm(50口径)単装砲8門
九八式10cm(65口径)連装砲8基16門
戊式40mm(70口径)連装機銃22基44門
戦艦比叡
 軍艦比叡は大日本帝国海軍の戦艦(高速戦艦)。艦艇類別等級表の上では比叡型練習戦艦一番艦、竣工時は金剛型巡洋戦艦の二番艦である。日露戦争後の軍備拡張計画による装甲巡洋艦として計画され、1911年に一番艦「金剛」の設計図を基に起工。1914年に竣工した、帝国海軍の中でも最古参の艦艇である。比叡を含む金剛型巡洋戦艦4隻は竣工当時世界最強の巡洋戦艦部隊として名をとどろかせ、生みの親である英国から貸与の要請が来るほどであった。当時の英国主力艦であるライオン級戦艦が34.3cm(13吋)砲を搭載していたのに対し、金剛型の搭載していたのは35.6cm(14吋)砲であった。金剛型は続いて建造された扶桑型、伊勢型とともに、第一次大戦期の帝国海軍主力艦部隊を構成した。
 比叡は1922年締結のワシントン海軍軍縮条約では辛くも廃艦を免れたものの(金剛型の前級である伊吹型巡洋戦艦や河内型戦艦は、同条約により廃艦ないし特務艦転用となった)、1931年締結の第一次ロンドン海軍軍縮条約ではその影響を受けることとなった。金剛型戦艦のうち一隻が練習戦艦として現役から離脱することが決定され、比叡がその任に就くこととなったのである。比叡は4番砲塔を撤去され、27.5ノットの速力を18ノットに制限された。しかし比叡は練習戦艦としてその任を全うしたほか、聯合艦隊大演習や観艦式などでは大元帥たる天皇の座乗する御召艦として度々指名された。その後も比叡を御召艦とする習慣は続き、1935年には来日する満洲国皇帝・愛新覚羅溥儀も大連港から下関港までの移動で比叡を御召艦としている。天皇旗を掲げた比叡は切手にもなり、帝国海軍を代表する軍艦として長門、陸奥とともに親しまれた。
 日本の第二次ロンドン海軍軍縮条約脱退により、比叡は公然と再武装を許可される。大改装により比叡は速力30ノットを発揮する高速戦艦として生まれ変わり、巡洋艦主体の夜戦部隊を支援する第三戦隊に配属された。金剛型戦艦4隻で構成される第三戦隊は帝国海軍で一番艦齢の古い戦艦で構成される戦隊であったために半ば便利屋として扱われ、支那事変に際しては東シナ海・南シナ海上で海上封鎖作戦に従事している。1943年の事変終結後も北支で頻発する暴動にしばしば警備行動を行った。
 金剛型戦艦は八雲型巡洋戦艦の就役と前後して廃艦、除籍となったが、御召艦の歴が長く国民に広く愛され、諸外国においても「天皇陛下エンペラーのお気に入り」として認知されていた「比叡」のみは練習戦艦籍に復帰することで廃艦を免れた。1950年代以降は香取型巡洋艦とともに士官候補生の練習航海に用いられるほか、天皇の御召艦として活動し、任務のないときは呉・柱島泊地にその雄姿を浮かべている。
要目
全長224.5m
全幅34.6m
基準排水量39,130t
主機艦本式オール・ギヤードタービン4基4軸
出力82,000馬力
主缶ロ号艦本式缶大型4基・小型6基
速力25ノット
兵装三年式41cm(45口径)連装砲4基8門
四一式14cm(50口径)単装砲18門
九八式10cm(65口径)連装高角砲7基14門
戊式40mm(70口径)連装機銃23基46門
戦艦長門
 軍艦長門は大日本帝国海軍の戦艦。艦齢8年未満の戦艦と巡洋戦艦各8隻を建造することを目標とする「八八艦隊計画」の一番艦として1917年に起工され、1920年に竣工した。姉妹艦「陸奥」と並んで世界初の41cm(16吋)砲搭載戦艦である。「陸奥」の竣工直後にワシントン海軍軍縮会議が開催され、残り14隻が建造される予定だった八八艦隊計画の妹たちはすべて建造がキャンセルされた。天城型巡洋戦艦2番艦「赤城」と加賀型戦艦1番艦「加賀」はのちにその未完の船体を空母として改装され、海軍休日期の帝国海軍において貴重な洋上航空戦力を運用する艦となる。
 46cm砲を搭載する世界最大・最強の戦艦「大和」が1941年に完成するまでは長門型戦艦は帝国海軍の保有する最大・最強の戦艦であり、「陸奥と長門は日本の誇り」といろはかるたにも詠まれるほど国民に親しまれた艦であった。艦橋に煤煙が流れることを防止するために設置された屈曲した一番煙突が本艦級の特徴であり、この姿で長く愛されたのであった。戦前の「グリコ」のおまけ(食玩)にはブリキで作られた特型駆逐艦の吹雪や、第二次上海事変で海軍陸戦隊の装備として活躍した九三式装甲自動車、防楯を外した九六式十五榴と思しき火砲とともに、屈曲煙突と七脚マストが特徴的な戦艦長門の姿を見ることができる。しかし、そんな国民の期待を一身に背負った戦艦だからこそ、訓練は大変厳しかった。このことは本艦級の未来に暗い影を落とすことになる。
 1943年6月8日、柱島泊地に停泊していた第一艦隊主力の中に、轟然と火柱が立ち上った。煙の晴れた後には、第二戦隊「扶桑」の隣に停泊していた「陸奥」が、艦を真っ二つにして沈みかかっている姿があった。「陸奥 爆沈す」の緊急信は「扶桑」から軍令部に発信され、救助作業が行われたものの日が沈むころには艦のほとんどが柱島の海に没していた。支那事変の真っ只中であった当時、聯合艦隊の最有力艦である「陸奥」の沈没は機密事項とされたものの、3000名に及ぶ「陸奥」乗員の行方を秘匿することはできず、7月には委細を海軍省から発表せざるを得なかった。20年にわたって国民から愛され、帝国海軍の象徴とされた「陸奥」が戦わずして爆沈したというニュースは日本国民を深い悲しみに陥れたものの、同時に発表された新型戦艦(大和型)の詳細が知れ渡るにつれ戦力面における不安は解消されていった。当初、「陸奥」の沈没は国府軍による謀略が真っ先に疑われ、続いて新型の榴散弾である三式弾の自然発火が疑われたものの、査問委員会は45年2月に事故原因を「断定シ得サルモノヽ事故ニ非スシテ煙草火ノ不始末乃至ハ人為的放火ニヨルモノト判断ス」とした。爆発は昼食後のことであり、帝国海軍には昼食後に「煙草盆開け」の命令が出され喫煙が許可される慣習があったこと、事故直前に「陸奥」艦内で窃盗事件が多発しており、第4分隊の下士官が犯人と疑われて軍法会議に出頭を命じられていたこと、そもそも帝国海軍の戦艦は訓練が厳しいという以上に古参兵や下士官による兵へのいじめが多く、兵の自殺が多かったことなど、攻撃や自然発火以外ではいずれも人為的な発火が疑われた。
 「陸奥」が失われ、また航空主兵の時代に突入し、アメリカ海軍が旧式戦艦の処分を進めているため本務である戦艦との砲撃戦も生起しないと考えられていたため、「長門」は第一戦隊から外されて廃艦となる運命であった。しかし、米艦隊はコロラド級で戦艦の廃棄を打ち止めとし、ノースカロライナ級以降の新型戦艦は現役にとどまることが明らかとなると、帝国海軍で41cm砲を装備する唯一の戦艦である「長門」の戦力価値は高まり、現役にとどめ置かれることとなった。かつて世界第三位の大戦艦隊を率い、そのマストに将旗を掲げた「長門」は、本籍を置く横須賀鎮守府に係留されて静かな余生を過ごしている。


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temp:艦艇要目

要目
全長
全幅
基準排水量
主機
主缶
速力
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